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2017.08.06

河合栄治郎『学生に与う』を読んで

去年あたりに旧制高校に興味というか郷愁が湧いて、関連の書籍を集めた頃があった。

少しずつそれらの本を読み進めているが、河合栄治郎『学生に与う』を読んで、これが自分のバイブルだったかもしれないと気が付いた。

中学一年の夏、物置になっていた父の書棚からこれらの古びた文庫本をめくって読んでいた。そして、大人の世界なかんずく青春というもののイメージが形作られた。

だから、高校に対する憧れや期待・欲求は人一倍強かったし、実際に入ってみて現実が自分がイメージしていたものとかけ離れていることで方向感覚が見失われて行く感じがした。

この『学生に与う』は、人間世界を理想的に捉えすぎていて私自身が環境の変化で覇道の真っただ中に置かれたとき、この書で謳われている理想を追求する生き方が透徹できない現実に、「今は暫くこの生き方を断念するしかない・・・」と諦めた時期があった。そして、それまで正しいと思ってその道を邁進してきた生き方が妨げられる現実に困惑し、その謎解きを人生のテーマとして背負って来た気がする。

そして、今知ったのは河合先生自らも同様に理想と現実の覇道に引き裂かれて苦しまれ、その中で寿命を縮めた人生を送られたという事実だった。

私は精神の赤ん坊の時、恐らくこの本と出合っており、これを世界だと思い込んで、それが感性の根底に根付いているのだと思う。だから自分の常識と世の中とでどうしても感性が乖離してしまうことが往々にして起きてきた。そして、なぜこの生き方が続けれられないのか?正義は結局”力”の前では無力なのではないかという疑義に対して、私は究極のところで答えを授けられた。

だから、この本を読み了って、懐かしい旧友に思いがけなく出会ったような感慨があった。そして、この場所にまた戻ってこれたことが奇跡のようだと思える。あの頃の周囲にいた集団とそのまま繋がりが続いていたら、人生がもっと豊かに生きられただろう。悔いは無いと言えば嘘になる。けれども、自ら望んで求めてこの生き方を選んだのだろうと思う。回り道が無かったら、上昇志向しか理解できなくて、世の中の狭い範囲を表面的に理解するだけだっただろう。社会の表に現れない根っこの部分を多く血と涙とで学んで来た気がする。

この世の特に今の都心の人間たちは、修業が足りなさ過ぎて、河合先生の理想に燃えた向上心も、敢えて苦労を避けない心意気も苦労も何も体験しようとしてこなかった魂たちを見ていると、一体この本に書かれている世界は、そして自分が体験して来た世界は何だったのだろうと、浦島太郎になった気分になる。

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