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2016.07.17

旧制高校への郷愁

ある出来事からゲーテの『ファウスト』を思い出して調べたのをきっかけに、旧制高校や当時の教養主義の文化に興味をひかれ、幾つか発見もあったので備忘的に記しておきたい。

旧制高校生の必読図書と言われた『三太郎の日記』、『学生に与う』(河合栄治郎)、『学生に与ふる書』(天野貞祐)、『愛と認識との出発』、『人生論ノート』『若きヴェルテルの悩み』などの岩波文庫・新書関連が父の本棚の奥にあったのを中学に入ってすぐの頃に立ち読みした記憶がある。それで、高校生というもの、大人の年輪というもののイメージがそこから無意識のうちに形成されたのだと思う。

それ故に、ミッションスクールの私立男子高に入学前する前は、旧制高校の理想を重ねていたし、その実態との乖離に落胆と拒否反応が大きかった。また、女性との接し方もどこか旧制高校的で、ロマンと悲痛に苛まれていた。

人生のカルマに翻弄され、更にかなり危機的な状況(魔の包囲)に置かれた時、倫理・正義ひいては理想というものの無力さや限界を知った。その時、僕は「暫くそれまでの精神の理想の生き方の追及を一旦返上するしかない」と近くの神社で自分に言い聞かせたことを覚えている。それ以来、旧制高校的な真理や神の摂理・秩序といったものを封印し、次第にニーチェの『ツァラトゥストラ』などに共鳴しては、徐々に精神的な奈落へ落ち込んで行った。

竹内洋『教養主義の没落』によると、私の少し前の世代までは旧制高校的な教養主義が、まだ高等教育の学生や世間に残っていたという。私自身の実感としても、小学生・中学生の友人たちの兄姉たち、近所で接する高校生、大学生(住んでいたのは大阪大学の近隣だった)は「青春」というイメージにふさわしい質素で真面目な人柄の人達だった。

自分がその年齢に差し掛かる70年代~80年代のほんの十年くらいの間に、学生を取り巻く文化が大きく変わってしまったのだと思う。私がイメージしていた旧制高校的な世界は、ついぞ見つけられなかった。

明治の元勲たち江戸文化の武家の薫陶を受けたものが持つ東洋的な素養と西洋とのクロスオーバー世代とは異なり、明治新政府の第二世代たち、旧制高校生たちが見ていた西洋文明は理想に傾きすぎて裏の面が見えなかったのかもしれない。そして更に日本敗戦後は、日本社会における文化の基軸がヨーロッパからアメリカへと切り替えられ、旧制高校的な教養はマルクス主義に乗っ取られ、やがて大学闘争と共に消滅して行った。

先日、かつて中学の時に盗み読みした図書類を読み直してみたいと思い図書館で借りてみたら、とても懐かしく感じられた。そして、もう一度新たな感覚でそれらの書を座右に置いて自分の人生や日本のこれまでの精神史を振り返りたいと思った。

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