« June 2015 | Main | October 2015 »

2015.07.30

全ては官僚様の掌のうち、しかして官僚様は…

東芝の不適切決算の第三者報告の内容から社長辞任の流れ、そして奥歯に挟まったようなマスコミの表現や株価の安定度合に一貫しているのは、企業経営ではなくて国策の存在で、恐らくウエスティングハウスの買収時点から一貫して、経産省の官僚が脚本を書いて東芝がそれを業務遂行するという役割分担で進んでいたのではないだろうか。それゆえにトカゲのしっぽのように歴代経営者を切って丸く収めるという、やくざの手打ちのような演出を打ち出して日本人なら心情として裏も表も分かった上で「仕方ないな」で何となく流してしまえるとしても、海外のロジカルな投資家連中には浪花節は理解も許されもしないだろう。

そうして考えてみると、今の国会議員も与党・野党ともにその席に居続ける、あるいは政権を維持し続けるために官僚のシナリオに忠実に動く駒とならざるを得ないのだろう。マスコミもまた同様。

そればかりか、福島原発の対応にしても、東京オリンピックのプロジェクトにしても官僚の問題解決能力や意識が危機的状況にあるのかもしれない。日本はガラパゴス化で巧妙に隠れた位置に官僚が居るため目立たないだけで、国際比較したときに説明責任、業務の遂行責任など、いずれ問われる時がくるだろう。そうしたとき、国民の目は騙せても、アメリカやIMFなどから正論を突きつけられたら、多分、白旗上げて落城するような気がする。

だから、最近思うけど、この平和な時代は長くは続かないと思うし、振り返れば今頃が一番安定して生活が維持できて良かったなと思い出す時が来るのだろう。だから、一日一日を大切に生きよう。

| | TrackBack (0)

夜明け前

梅雨から夏に季節が変わって、体や生活習慣が慣れるまで少し時間がかかったけど、気持ちの上でも変わって来たように思う。それは初めてのことだけど、この世界の出口を感じた。現実の人の社会はあらゆる面で崩れて行っているけど、精神的な次元では出口の門が開いたのではないか。そしてまるで『ジャングル大帝』のオープニングの音楽や映像のように動物たちが一斉にその出口から喜び勇んで飛び立っているその感動の感情が伝わって来た。それはまた、『風の谷のナウシカ』に描かれていた腐海の果てる先に清浄な大自然が再生されていたような、そうした世界・出来事が進んでいることを感じた。

その世界にたどり着くには、心の型を守ること。各自の高貴なところにフォーカスすること。それを失わなければ行ける。そして、どんなに世の中に貢献したとしても、その心の型を便宜上破り去ってしまったら、道に迷い出口から拒否されるだろう。

神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ。現実界は閉塞の度を深め絶望や怒りを向けて来るだろう。それはそうした世界へ多くの魂を引き込むための舞台演出。実際は絶望するほど大変じゃない。神様は達観してこの現状を観ておられる。そして絶望や怒りに支配されてしまった人は、残念だけれど、カエサルの許へ自ら選択して行く魂たち。そうした供儀と同じ色に染まるのではなく、その分、波動を上げて引き離す。高貴な意識に焦点を合わせる。そうやって人の進化は分離していく。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.07.26

木綿のハンカチーフ

太田裕美の『木綿のハンカチーフ』を久し振りに聴いて、純朴な歌詞に微笑ましい印象を持った。

今の世相と当時との断層は、今のアメリカ文化礼賛の拝金主義のカウンターカルチャーとしてソ連の偶像的なマルクス主義が日本独自の国家主義と融合し、それがソ連崩壊やプラザ合意という海外からの影響で消失してしまったことにあるように思う。

年金、福祉、果ては国鉄に代表されるような大組織の労組や高等教育機関などには、社会主義を借景とした社会的な理想主義が当時存在し、都会に対する地方、強者に対する弱者への眼差しが存在していた。だから今日、年金や医療保険制度はそれを支えていた思想・発想を理解するものが無く、アメリカ的な再解釈で制度改革しようとしている。

アメリカ自身もまた、政治的だけでなく思想的にマルクス主義が学生の間にブームとなり、『いちご白書』などの映画に見られるように学生運動などの資本の論理の暴走に対するバランスを支えていたと、今となっては思う。

『木綿のハンカチーフ』では上京する彼と田舎に残された彼女とが丁度その2つの立場をシンボリックに対置されていたが、今日では、もう田舎の彼女のように木綿のハンカチーフを願う健気で純朴な姿勢は存在しなくなっただろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.07.25

この世は束の間

平成になってから、この30年くらいの間に日本人の心のあり方は随分変わってしまった。

毎日、直接・間接に見ること聞くこと起きることがぶざまで小ズルくて愛に欠けていて、時としてそうした波動に耐えられないような気分になる時がある。

今はまだ、それでも天の鉄槌が降りるほどの大きな大罪は積んではいない。決して善くもないけれど。大災劫が起きるとすれば、何か日本が大きな過ちを行ったとき、他国を巻き込んで。

この世の感覚界がどんな様相であったとしても、「無色聲香味触法」と観じ遮断して、別の波動に満たされて生きる。天界の音楽のような神々のエネルギーを志向して。全然別のOSとして動き続け、魔に左右されない。それが求められている生き方だと確信した。

そして、死後のこと、天国に迎えられるように生きて行こう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.07.07

種の分離

人の魂の目指す世界・波動が階層化してきていると感じた。そしていずれ江戸時代のような士農工商あるいはシュタイナーの言うアーリマン・ルチファー・キリストという3存在のようにはっきりと生活空間が分離していくのかもしれない。おそらくDNAレベルで種の分離が発生するのだろうと思った。

幕末明治あるいは戦後の高度成長期までの日本人の精神の質から比べると、今は若者も老人も6掛けから7掛けの到達度かもしれない。それは教育というよりも産まれながらの魂の質(求めるもの=価値観)の違いだと思う。狭い世界しか見聞・経験していない魂が情も干からびて自己充足だけを追い求める都会の社会。その者たちは自分の欲する通りにカルマを積んで、おそらく進化から取り残されて行くのだろう。

それとは別の、物質や肉体などから少し浮上した新しい霊界を神様とともに見定めていく作業がこれから始まる気がする。

だから、現界の人がいくら口や態度で立派だと自己主張しても、それはもはや別の種が演じているだけのことで底が見えている。単なる再生産。

意識は高い次元に置き、その現象として現界がある。その精神統一状態を維持する下座の行を最後までやり遂げられるかどうかをあの世は見ておられる。決して生易しい課題ではなく、達成できるかどうか何の保証もない精神的に苛酷な試練。だが、それを覚悟して産まれてきたのだから。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

良薬は口に苦し

少し前のことになるが、仕事でオタメシを受けたことがあった。かいつまんで状況を説明すると、あるクレームがついて会社の他部署からもあれこれ口出しが入り、妥協策としてほぼ方針が上の方で決まっていた。結局、それとは全く別の本当の解決策がまるで天から導かれるようにギリギリで間に合って収束に至った。その途中では、本当に神様に向かい合って人々に対する「下座の行」ができているか、またまとわりついた悪想念をピシッと祓って精神を立て直せるかどうかを試される局面があった。

やはり、その時には一人で神と向き合う中で気持ち的につらいものがあり、ふと家で見開いた大本教の機関紙の次の言葉が心に残った。

『みろくのよ』 2015年6月号 P.10
-------------------------------------------------------------------------
 神の道を修業する心得としては、まず、
 第一に、一切の先入主を去ること。すなわち、今までの現界的の地位だとか、名誉だとか、自己の経歴だとか、学問だとかをすっかり念頭から棄てて、ただ単なる一個の敬虔なる求道者となることである。
 二、次には、肉体心で、ああしようとか、こうしようとかいう念慮を去って、しばらくなるままに任せ、あるままに任せること。すなわち素直にすべてを受け取って服従することである。
 三、常に省みて、怒るとか、恨むとか、そしるとか等の念のきざしかけた時には、即時に、自己のいまだ足らざる証拠であると思い直すこと。
 四、よく、ものの機微を察し、率先して難局にあたり、少しでも多くの体験をつむこと。
 まず、以上が根本的のことである。
                                出口日出麿
-------------------------------------------------------------------------

それから、丁度、時を同じくして大谷司完先生の書を通勤時に読んでいたが、次の言葉には今でも自分に言い聞かせている。
・・・良薬は口に苦し・・・

『凡庸の道』 P.341
-------------------------------------------------------------------------
 私は霊界へ引きよせられる度に、現世の人々の行為や物事の考え方が余りにも違って居る事に気がつき、恥じらい乍ら御師匠様にお詫びをするのであった。すると黙ってお聞き下さって居られたが、暫くして御師匠様は、お側にある手文庫より何かをおとりになり、私にお下げ下されたのである。其の時のお言葉に、「これを手本にして習字の稽古をするがよい」と仰せられたので、謹んで拝見して見ると、大きく立派な字で”一意専心、良薬は口に苦し”と書いてあるお手本なのであった。私は修業上心に響くものがあったので、御礼を申し上げると、直ちに現世の肉体に帰されて了ったのである。其の後暇のある時には、机の前にて其の時の光景を思い出し、一心にお習字を致したのであるが、側にはいつも御師匠様が眺めて坐す様な気がするのであった。
-------------------------------------------------------------------------

人間、楽しいこと誇れることのためだけに生命を与えられ生きているのではない。現界は修行場であるから、その本質は辛く苦しいことを通して魂が成長し意識が深まること、そしてそうした試練の先の本当の愛情に気づくことなのだと、やっと最近になって理解できて来た。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.07.05

消えた東洋

これまで、『日米同盟の正体』、『戦後史の正体』、『小説外務省』と、これまで非常に良い仕事を重ねてきた孫崎享さんの新著『日米開戦の正体』を期待して読んだが期待外れだった。政府・軍部そしてマスコミと海外の側面だけしか見ておらず、もっと本質的な底流が抜け落ちて全体のバランスが完全に失われており、その時代の精神から乖離している印象だった。まるで日本人が意思決定に欠陥のある民族のように扱われている。

改めて、今の日本人の意識、更に今の中国や韓国にもおそらく戦前まで残っていた東洋文明という意識が世界史的に消滅してしまっているのかも、という印象を受けた。今や、西洋的価値観が世界を席巻しようとしている。

宮崎滔天、頭山満、内田良平、西郷隆盛、孫文、金玉均、周恩来、蒋介石・・・こうした人たちは、漢籍を共通の教養とし東洋の義という点で共鳴する素養があった。そして、一つの可能性として東洋の王道文化でEUの東洋版を100年先んじて建設する可能性があった。だが、小さな失敗が積み重なってまさかの大破局を迎えてしまい、今や西洋の牧場のような有様と成り果てた。

西洋的な世界観からは到底あの時代のアジアの真のダイナミズムを理解できないし、西洋に向かって主張しようとしていた理想も聞こえてこないだろう。

このまま東洋文明は世界史の実態から消え去って、元から無かったかのように扱われてしまうのだろうか? 西洋文明だけが正義を振りかざして生き残っていくのだろうか? それではあまりにも勿体ない。東洋文化の精華をもう一度見直してみたい。あの時代に果たせなかった夢を今一度見つめ直すことはできないだろうか、と思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

環境の変化に対応するとき

時の流れとともに、環境に変化が起きるのは避けることができない。これまでは変化に対応する基点を自分自身に置いて、個人の底辺(アイデンティティ)を基点にして変化に対応してきた。

しかし、これからは基点を光の世界・高次元に置いて、現界の方を変化・スライドさせていくようにしなければならない。それは、精神性という点に意識を集中させるということ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.07.01

階級志向

仕事の取引先の振舞や政府要人の言動、あるいは身近な周囲の人々の行動に違和感を覚えることが多くなってきた。むしろ、海外の人間の方が筋道がはっきりしている。だが、その理由がふと透けて見えてきた。今の日本は戦前と同じような精神構造上の病に侵されて来ているのかもしれない。

それは、他人の作った「誰のものでもない」ブルーオーシャンにわざわざ格式と階級を持ち込んで、その上下関係を利用して自分の主張を正当化する、そういう連中の割合がすごく増えている。何かをクリエイトしたり、高次元に繋がる志向を持たず、権威に依存しその威を借りて相手をひれ伏させることが快感な歪んだ精神の存在が身分に群がり、良い境遇を求めて流動する。そうした世間が大多数なのだ。

最近、頭山満を主人公にした小林よしのりの漫画『大東亜論』を読んでいたところだが、西郷隆盛に連なる大和魂の巨人たちの生き様は、懐かしい感じがした。今現実の日本はそれとは全く逆の方向に進んで行っている。

いずれその刈り取りをさせられる時が訪れるだろう。その時、人々は運命から見放されたように感じるかもしれない。尊大の鼻も折れてひ弱な振りを見せるかもしれない。でも、どちらの顔も醜くてお天道様に真っ直ぐ向き合えないはずだ。魔に覆われた価値観に自分を合わせて生きる、それが今の日本なら、未来に対しては相当に覚悟をしなければならないだろう。

般若心経のように五感を少し変化させて光の道を探りながら生きていく他ないであろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« June 2015 | Main | October 2015 »