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2015.04.23

判断の責任

中学1年後半から2年にかけて、判断に迷うことがあると、大抵土曜か日曜(平日はクラブ活動)に近くの比較的大きな川の土手を歩き、橋の下や小さな流れの段差のある場所で、その問いを考える習性ができてきた。

思考と是非善悪の判断基準とその場の地場による不思議なインスピレーションで、いつも納得した答えを得て帰って行った。だが、今振り返って、いささかの誤謬(判断ミス)があり、それが後々大きく響くことになった。直居あきらブログの昔のエントリを読んでいて、ふとそのことを思い出した。

思考や感情が霊能に勝ってしまう、それは人間でありまだ未熟な年齢であれば仕方のないことかもしれない。だが、事態はそんな生易しいものではなかった。ボンヤリではなくギリギリまで正確な判断を繰り出して行かなくては生き延びることができなかった。まだ若いとか、経験のために失敗してみようとか、そんな甘さの中に驕りの芽が潜んでいた。

今日昼に会社の近くの庭園で受け取ったメッセージでは、当時も今も「もっと神にゆだねて身軽になればいい」とのことだった。自分から無理をして大分あちこち傷んでいるらしい。陽光によりエネルギーチャージを受け取った。

その庭園の大木や池を成り立たせている生命の根源の力は、あの当時も今も共通して天の原型として存在し、私が理想としてきたあの頃、そしてその次の時代、もしくは遥かな前世もそれぞれが仮の一遍のシナリオシーンでしかない。人の世の浮き沈みやら男女の縁もまた然りで、小さな虫の羽音のようなもの。

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Comments

Thanks very interesting blog!

Posted by: accountants in ann arbor | 2015.04.26 at 05:54 PM

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