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2015.01.29

入社30年ぶりの同期会

私は気が付くと若い時から住む場所や生活環境を頻繁に変えていて、一つの土地や職場に落ち着いたのは結婚して以降かもしれない。その大きな理由は、子育てに追われ自分の時間の余裕すら持てない時期が続いたから。

家族が遠くに去り、資格の勉強を一段落させた数年前から、過去の様々な情景を思い浮かべ、自分がこれまで気付いていなかった当時の出来事や人との出会いの意味を、まるで答え合わせをするかのように再解釈し理解し直すことが多くなった。死んだ人間があの世に行って生前の清算をして成仏すると言うが、それを生きている間に行っている印象だ。その結果、ある人物に対する印象が180度変わったり、その当時に周囲がどう思ってなぜそうしたか、今から振り返って初めて分かり、色々と本当に反省させられる。それだからこそ、今の自分を将来から見たときに同じことを繰り返さないよう、自己流の判断で拙速に物事を決断し推し進めてはいけないと自戒するようになった。

昔は、人生を実験しているような気分で生きていて、「こう行動すればどういう結果になるか見てみよう」、みたいに軽い気持ちで生きていたから、運気が長続きしなかった。

私は親と生きる波調が合わなかったので非常に苦労して、言わば社会に出てから一から教わったようなもので、自分でこの世の世界観を再構築する間、随分遠回りして生きて来たし、周りにも迷惑をかけた。何周も周囲からは出遅れていたと思う。だから今は離れたとはいえ、自分を育ててくれた前の会社には言葉に尽くせぬ感謝の気持ちがあり、おこがましいかもしれないけど、外から見て色々と思うことや感じていること具体的な参考になるネタなどをあれこれと考えて特に同期の出世頭の人物とそんな話をしてみたかった。

ぱっと再会した顔をみたときの印象は「みんな全然老けてないなあ、しょぼくれてないなあ」と思った。また、これは会社の持つ雰囲気なのかもしれないが、生まれ育ちのいい品のある人たちだな、という印象だった。そして、一つの場所で続けることの大切さをつくづく感じた。

とはいえ、何となく同期とはいえ上下の関係ができてしまっており、役職の上の何人かは出席せず、邪推かもしれないが組織の責任を背負っているが故の苦労や自負心が同期という括りで同席するのをためらう大人の配慮みたいなものがあったのかな、とも思った。そうした連想から、なぜ自分があの会社を去ったかという理由に繋がっていく気がした。それは、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズみたいに発想の転換で明日の未来を切り開いていくというクリエイター的な志や衝動のようなものと会社の目指すものが違っているという実感を感じはじめていたから。結局ゼロから作り上げるよりも、既にあるものを手直ししてちゃんと綺麗に包装して市場に出すのが、我々の会社の役目だよ、みたいな話を当時言われたように思う。売上という現実の世界からどうしても抜け出せず、夢を追いかけることとは無縁の人達かも、と当時思い始めて、外の世界に飛び出した。今なら別の方法があったと思う。やはり、始めから終りまで自分は若かったんだなあと思う。

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2015.01.11

楽な道と困難な道

この世に生を享ける時にeasy goingな道(周囲の護りが手厚く、努力少なく勝利を収められる緩い坂の環境)とその反対の峻厳な道のどちらを選ぶか提示されたら、やはり普通だったら魂の成長のチャンスと見て困難な方を選ぶだろう。

この世にある使命を帯びて生まれたとしても、楽な道だったら唯一つの役割をこなすだけで生きて行くのはつまらないだろう。色々と不得手なことも含めて、世の中のことを体験し学んだ方がたくさん成長できる。

それだから、人は苦労を背負って生きている。

この世の三次元的な価値観では王様と乞食では越えられぬ壁を感じるだろうが、四次元世界(魂の世界)から見れば、「自分がその状況をどう感じて生きるか」だけになるので、人から見て恵まれようが、そうでなかろうが、当人が幸せと思うか、そうでないかという、その自己認識だけが実体なのだ。

つまり、四次元界に合一した状態で生きれば、三次元界は相対化する。

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人生はあらゆることが「お試し」で出来ているのかもしれない

先月、ある有名な山に登った時、滝口から駐車場までの人がほとんど通らない道では、山の気や精霊たちの活動が活発だったが、ロープウェイが繋がっている山頂に近づくにつれ俗界と変わらない人間の気になっていった。(この山は日によって波動が違う)

もう一つの峰に移動する際、気がすすまなかったが、心中でこれまでどういう生き方をしてきて、普段どういう思いで生きていて、何のために今登ろうとしているのかをウケヒし、「私は登るのだ!」という意志を伝えて、邪の気が抜けた。その峰の頂きには人がほとんど居らず、お社で参拝した後、少し下がったところの展望場所で雲間に日拝し始めると、驚いたことに太陽が雲間からくっきりと現れた。

一つ一つのあらゆる判断、感情、行動が試され見られている。そして、その反応によって自然法則のように運命が構築される。人生とは全体に於いてそういうものかもしれないという気がする。ならば、人間はまず意志優位にして感情のコントロールができなくてはいけない。そうでないと簡単なレベルは対処できても、難局に於いて運命の「お試し」に正しく応えることができないだろう。

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置かれている状況

たたら製鉄では金属神を祀り、死穢を好むとされている。諏訪の御柱祭も起源はそれに纏わるものだという説がある。

今の日本は、宮沢賢治の『注文の多い料理店』のストーリの通りに進んでいると思う時がある。

先月、ふと通勤電車の中で次のようなイメージが浮かんだ。
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家で大きめの水槽に金魚を十何匹か飼っている。金魚自身はお互いが自分の天下と思って縄張り争いに終始している。(ここまでは事実)

ある存在は、金魚を食べる目的で水槽を眺めている。

もう一つの別の存在は、水槽ごと宇宙につなぎ宇宙の気を注ぎこみたいと考えているが、そのままではシンクロしないため、移行しうるかどうかの可能性を探っている…

かつて宇宙では物質を司る過程において反省すべき事柄があった。それゆえ宇宙の主宰神は物質世界に直接介入しないと決めた。それゆえ食物としての金魚存在(物質次元)を通してのみ、魔の世界と交渉ができることとなった。

この水槽は宇宙の多元的な価値観が投影され、多様なエネルギーバランスの上に成立している世界。

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2015.01.10

日本は父性の去勢された社会なのかな

日経ビジネス・オンラインの「金曜動画ショー」のコンテンツを久しぶりにまとめ読みした。このコーナーはWebにアップされた主に海外の面白動画を紹介しているのだが、幾つかを通しで見てみて今の日本はアメリカ文化ひいては海外の文化と父性において大きな乖離があるのではないかと感じた。

例えば『寒々しくて絶句!知事11人と大臣が「アナ雪」主題歌で「子育て」啓発?』において、日本のエグゼクティブ(知事)たちが余興とかムードでしか問題を把握・改善できない知的能力。これに対し、HOMELESSFONTS.orgが取り組んでいる社会的に支援を必要とされる人々への尊厳とお金の面を含めて現実的にどう支援していくかという全体のフレームワークを視聴者にどう訴えかけるかという、どこから見てもお見事の映像作品との対比。

それから、『投票率の低さを嘆くのは逆効果ですよ』で紹介されている、オーストラリアでのテロに伴う反イスラム感情。それによって一般的なイスラム教徒が安心して街を出歩けない状況に気づいたある市民が、自発的に彼ら・彼女らをガードするツイッターが大きく広がって多くの人々がそうした支援活動を自然に行っている映像が印象に残った。

日本ではどうか。同じ状況に置かれれば、表に出すかどうかは別にして、どんどん感情的に陰湿な方向に向かうと予想できる。母性的な同感でしか物事を判断できず、父性的な道義とか正義というあり方が欠落した社会のように感じられる。(特に都心の雑踏や通勤電車の車内) それだから、物事をドラスティックに変革しなければならない課題に対して、真正面から立ち向かうことができず、隠ぺいしネゴシエーションして先送りしてしまう。だから、社会全体が毀損していく一方なのだ。たった一人きりでも正義を貫きとおすことが今の日本でどれだけ難しいか。

私は、今の日本のあり方では早晩行き詰まるとみているが、今の人類は大乗ではない道を選択したので、社会全体の変革とかそういう方法論ではなく、各個人個人が国境を越えて同じマインド同士がコミュニティを形成していく方向で進むと思っている。その際にも、日本で抑え込んでいる父性=正義に殉じる心意気を如何に上手に、人間だけの独り善がりにならないように発揮していくかが大切だと思っている。

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2015.01.04

人は魂の徳で立つ

『人は魂の徳で立つ』というタイトルの本を持っている。本の内容は忘れたけれどこの言葉が好きだ。今日で長かった正月休みも終わり、振り返ると徒手空拳で生きているけど、人は魂の徳で立つと言い切れる気持ちがある。

人間は、世間様に寄りかかるか、言い方は悪いが神様とか向こう側の世界とか宇宙・大自然の法則とか絶対的な真理とかに寄りかかるか(これを全託という)に二分されていくと思う。それぞれ相容れない世界に別れていくのだろう。

私が人生で一番つらい思いをしていた若い時分にこの二者択一を迫られ、日和ってしまい世間様(家族)を選んだことがある。その結果、本来の自分の道を辿ることが出来なくなった。もう自分が何者だか見えなくなったのだ。

NEVADAブログを最近ウオッチするようになったが、「日本の実情」等を読むにつれ、これからはアメリカや日本では正規雇用そのものがシュリンクし非正規や派遣が主流になり、それと共に中流階級そのものが消滅し年収200~300万の階層社会に急激に移行していくというのが今の時代なのだと思われる。それに追い打ちをかけるように、AIの発達がホワイトカラーを駆逐していくだろう。(参考文献『クラウドからAIへ』『ロボット革命』)

あゝ、それでも、そんな時代だからこそ、人は魂の徳で立つと無条件に信じ切れる自分が居る。結局、勲章集めはパスしたけど、巡り巡ってどんな時でも宇宙の法則のようなもの、絶対的なものがあるという確信を見つけることができた。だから私は満足だ。今の波動を高め、時間を大切にすることに専念したい。

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2015.01.03

脳を活性化する

今日はこの正月休みで初めて用事から解放され、自分らしい時間が持てたと感じた一日だった。年末からずっとTodoリストに沿って自分をコントロールしながら予定通り処理をこなしていくことを心がけていた。そうしないとダラダラ時間を無駄にしそうな感じがしたので。いわば仕事の延長線上で家事を遂行するイメージ。

しかし、自制している感はあれど、ちっとも効率的ではない。読むべき書類も溜まる一方で、今日は思い切って部屋のカーテンを開け日差しを受けながら、じっくりと読もうと思っていたブログのプリントアウトを読むことができた。そこで括目したのがここ、山田貢司さんのブログ。

脳を活性化して時間を超えるという体験談がフォロワーも含めて沢山集まっており、「確かに超一流の人達の時間の使い方はこうだな」という実感が湧いた。脳が活性化して来ると、一般の時間の流れよりも自分の意識の方が追い越してしまい、その余剰分がアドバンテージとして貯金される、という感覚は過去、好調な時期に体感したことがある。例えば本を読むときでも仕事でもそうだがモチベーションというか意識的に切羽詰まった感、あるいはアクセルをふかした感じでやるのとルーチンでやるのとでは大きな違いが出て、結果が処理スピードにも持続力にも表れるだろう。超一流の人達はこうした意識のコントロールが上手なのだと思う。これを偶然に掴むのではなく、深く掘り下げて理解しようとするとスピリチュアル的というかオカルト的というかそういう面に繋がっていく要素がある。

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