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2014.12.20

自他の境界

ジョージ・オーウェル『1984年』の小説の世界観は未来を先取りしたものだと思っていましたが、李氏朝鮮時代の両班政治でそうした状況が起きていたことをたまたま知りました。全人口の30%以上が奴婢平均寿命が24歳という記述もあります。

こうした厳格な身分制度で奴隷の割合が多い社会は、結果的に発展が停滞し自壊してしまいます。このような指摘は、ソ連について小室直樹さんが実際に国家崩壊の12年前にされていました。

両班にとって白丁は人間ではなく、人の姿形をした動物という感覚でした。売買・生殺与奪は所有者の自由だったのです。では、現代人は肉食を当然と受け止めていますが、その動物には感情はないのでしょうか? あるいは、山の中に道を通し、ダムを作ったり、海を埋め立てたり、自然を人間だけの価値観で自在に扱って本当に良いのでしょうか? そこに痛みを感じないのは、日本では近代以降、ひょっとすると戦後の新しい感じ方だと思います。『日本語は神である』という本では、日本語の隠された特徴として、日本語は神に言挙げしてそれを相手に伝える「アップダウン構造」をしており、主語がないのは、主語は神様に向けられているからと主張されています。これに対し英語は物と物との「ショートカット構造」とのことですが、これは納得のいく説明です。

角田忠信教授によると、日本人は虫の音を左脳(言語脳)で処理し、西欧人は右脳(音楽脳)で処理するとのことです。日本人は元来、人間個々あるいは、自然物との境界が曖昧で容易に意志疎通して生きていたのではないかと思います。山田貢司さんの「森の魔法」というブログにはこうした植物とコミュニケーションした体験談がたくさん載っています。

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