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2009.03.23

届かなかった言葉

昨日に引き続き、家を整理していて見つかった掘り出し物
について書きます。こんなものがあったという記憶すら
これまでありませんでした。
それは、中学時代に海外に引っ越してしまい暫く文通を続けて
いた人の誕生日が書かれているメモです。

ホロスコープ・チャートを作ってみて、これは、すごいと思いました。
星と星ががっちり絡み合って十分結婚する相性の関係です。

私の太陽に相手の木星がタイトに合です。
私の火星・水星のオポに相手のドラゴンヘッドと火星・土星
のオポが合。私のASCに相手の月が合。
もし相手が朝生まれとすると、私の金星・月と相手のICが
合。その他、お互いの星でグランドトラインが2つ形成されています。
時間が不明な分、ちょっと甘めのレクティファイです。

当時、一緒のクラスだった時の心象風景を少し思い出しました。
「さあ、彼女の許に行きなさい」と言われている
気がしたけれども、それまでの育ちのせいか萎縮半分、
それと天邪鬼な性格が半分、それと、傷つける人への
遠慮もあってジッと我慢して、一歩踏み出せませんでした。

ソウルメイトのような実感はあったので
多分安定した関係になったと思いますが、
その安定ゆえの退屈さの予感も感じていました。
同じようなことを考え・感じ・行動することが自然に出来たので。
その当時、夜にFMの静かな曲をステレオで聴きながら
銀河の果てまで小さな玉になって宇宙空間を漂うトリップ感覚と、
「よくここまで来れたな」という評価を誰かにもらった感じがあって、
なぜその時だけそんな精神状態でいられたのか、ずっと
分からなかったのですが、恐らく彼女と学校で接する
僅かの時間の影響が働いたような気がします。

そっちの路線は恐らく存在していたのだと思います。
最短コースでうまく人生の色々なパーツが噛み合っている
気がします。詳しくは書きませんが、彼女の親が私の
精神的な親になりえたと思います。彼女の父親の決断力
そして彼女への路線の引き方は、親の年代の今になって
評価するとスケールが大きく、かつ緻密だなあと感嘆
させられる点が多いです。

ただ、そのコースを歩んでいたら、今のような人生の表裏の
限界の世界を避けて通ってきたと思います。
コンサバ街道一直線です。
でも、見方によっては狭い世界です。

また、うまく行くその相性のことが当たり前の感覚になって
なんで、世の中の人たちは男女関係であんなに
悩むんだろう・・・と理解できなかったような気がします。

そう考えると、これまでの人生の結果は、これはこれと思えてきます。
私たちが本当に活動するのは、これからですから。
山への登り道は、どれでもよろしい。

一度本物と出会ってしまったので、今までを振り返ると他の女性と
出会っても見劣りしてしまい、そのまま出家のような人生を送る
ところでした。そのことの理由が私自身にも理解できずに悩んだ
時期もありました。

精神的に苦しい時期に文通を続けていたのですが、自分の立ち位置
を見失っていて次第に落ちていく現実を誤魔化しながらぎくしゃく
していつの間にか自然消滅しました。でもあの時期、私の心の
支えは彼女の手紙の存在が大きかったです。
彼女に対して、ずっと自分を隠したままか、自分を見失ったまま、
本当の言葉を交わすことの無いままに終わりました。『葉隠』の
忍ぶ恋みたいです。

彼女と彼女の背後の天使さまへ
「出会えてありがとう」そして、「いつも僕の側でタイミングがずれて
本当に必要な言葉・そして許されていたかもしれない心の交流
を準備してあげられなくてごめんなさい」
これまで、少し心残りなことの一つでしたが、このメモが出てきて
思い出が蘇ってくれて、カルマが消えていく気がします。

小田和正はオフコースの時代からファンなのですが
彼もまた、似たような経験を抱えているように思います。
だから、共鳴するのかもしれないです。
彼の曲のテーマは、この点で一貫していますから。

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2009.03.22

観音行

ちょっと小うるさいお客様を、近々迎える関係で、
家の中を片付けまくっています。
今は、書類の山です。引越し前みたいです。
果たして間に合うのかどうか・・・。

それで色々と面白い資料も出てきました。
新卒で入社して数年間、職場でかなり浮いていたみたいです。
今なら、リストラされていてもおかしくなかったでしょう。
当時の記録を読むと、上司の口からそれらしい前兆の言葉が
出始めていましたが、当時としては(’87年)新人を
一旦引き取った以上は、本人が自分から言わない限りは
新人を会社から辞めさせるということは、よっぽど不祥事か
勤態(通常の出社)が悪くない限り、あまり無かった
と思います。しかし、思いっきり干されていた様子が
伺えました。仕事のやり方が、まだ身についていなくて
基礎が出来ていないのに大技ばかりを目指していて
客先で失敗したり、立ち往生するということが多かったようです。
先輩集団には嫌われ、後輩にも馬鹿にされていたと言うことが
当時の日記メモに書かれていました。

しかし、人間6ヵ月で生まれ変わるものなのですね。
組織の長を含めて、中心だった人たちが独立で抜けて
行ってしまい、残った人たちで仕事をまわさなくては
ならなくなって、組織も自分もギリギリのタイミングで
テイクオフしたようです。一人の先輩が味方についてくれて、
その人の助手のような形で仕事の感覚を次第に理解して
いきました。(この人とは今でも年賀を交換しています。)
そして、ものすごいスピードで一通りの仕事のやり方
をマスターして、半年後にはもう、その分野は極めた
ということで別の部署に移ってしまっています。

この部署移動は大正解で、移動先の上司に非常に評価
され、移動の半年後、すなわち翌年の春には抜擢されて
中京地区に転勤を命じられ一人で任されるようになりました。
ここで死に物狂いで働かされて、暫くは土日もありません
でした。会社を背負って立たされるという経験を積んで
この頃やっと仕事というものが見えてきたと思います。

一番苦しかったとき、親代わりを引き受けて精神面で支えて
くれた指導者(私のことを文字通り祈ってくれていました)や
たくさんの人たちに支えられて、へこたれながら潰れずに
水面下から浮上できました。
考えてみると、このときだけではなく、その後の職場でも
不思議と八方塞のときにフッと味方が現れたりしています。

先日、春分の日は西洋占星術の新年であると同時に
お彼岸でもありました。御先祖に観音経を唱供しながら
観音行ということを改めて思い至りました。
観音は人の姿に化身して慈悲を下すとお経に書いてあります。

自分を良くしようと思っていたら、現実の重みに耐え切れ
なかったと思います。あの社会に溺れかけていた当時
であっても、社会に貢献する、つまり自分を差し出すという
生き方・思いは消えませんでした。そう思えれば、どんな自分
であっても良いのです。自分はそれまでの生きてきた結果に
過ぎません。洋服のようなもので、他人も皆そうです。
たまたまその服を着ているだけ。人よりも荷物が重ければ、
服もボロくなる。けれども、感謝を捧げるのは誰だって妨げなく
出来るはずです。人間そのように出来ているのです。

色々な職場を見てきましたが、2000年前後からか、
権威を借りて器というかパッケージだけ立派にする
ことが良いという傾向が顕著になってきたと感じます。
しかし、その実、本心では他人を見下して他人を
お金で操ろうとしたり、お客様に社内の都合を押し付ける
人たちが会社を動かすようになってきたと思います。
名前を出して悪いですが、例えばレクサスにもそれを感じます。
ブランドというのを全く理解していない。根底に情熱というか
なにか突き抜けたものがあってこそ、のエクセレンス
ではないかと思います。その当時の、ものすごく優秀
だった人たちのやっていたことが今は、痕跡もなく、当人も
居ないケースは多いのではないでしょうか。
そして、その当時見向きもされなかった地味な事柄だけが
結果的に今でも残って続いていると言うことはないでしょうか。
やっぱり、最終的には仕事というものは観音行なのではないですか?

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2009.03.19

続・未来

伊勢白山道という方のブログを、ほぼ毎日興味深く見ています。
基本的に、この人のスタンスに共感しています。
この人の著書に書かれていることと、ヘミシンクの坂本さんの
本に書かれていることとで、結構共通しているのも興味深いです。
例えば、これから幽界が消滅していくこととか。

先日、伊勢白山道ブログの記事に興味深いことが書かれていました。
元は一つと言えども
現実界の今に生きる霊線の最先端でもある私達は、霊線の
元を辿れば同じ一なるモノに行き着く。
現実界での個性は、魂が来た元へ戻るに連れて個性が消えて
行き、最後は同じ存在に成る。

霊線の途中が詰まると、その部分の内側が狭窄(きょうさく)
しています。細長い風船を途中で捻じる感じです。
先端の部分は、まるで「独立した固まり」になってしまいま
す。本体の母性から独立した先端は、孤独で寂しく不安が消え
ません。
不安を消そうと、逆に個性の固まりを大きくする活動をしている
のが現代の物質社会です。

自分を唯一の存在と見なしている存在は、あまりに遠くに行き過ぎて
自分の元のルーツを思い出せない=戻れなくなった存在なのかも
知れませんね。地球の今の魚座プラトン月は、こうした魔的な
存在に地球や人類の経営をやらせてみる期間だったのかも
知れません。

こうした存在であっても、私がそうであったように、いつでも
サルベージ可能です。しかし、やり方を間違えてはいけません。
個人が扱うのではなく霊的な存在がコーディネートする流れ
に沿って行動する必要があります。

魔的な利己存在は、利にさとく長い時間を掛けてといったことを
許容できません。サイクルが短いです。どんどん物事を変化させ
それをもって進歩と見なしています。しかし、それは質的には
同じ水準をぐるぐる回っているだけです。だから時間を重ねても
その年輪を感じさせません。そして、結局は不活性しか産み出せない
のです。

やがて、お金や経済や軍事力といった彼らが作った現代文明に
関して共食いが始まると思います。ハルマゲドンと呼ばれる場所、それは
中東のみならずアジアにもあるかも知れませんが、覇を競って
なぜか、そういう場所に集められて、一時的には世界を支配すること
に成功するでしょう。しかし、やがて消滅していく・・・こちらから見ると
そういうように感じられると思います。そういう場所はその後封印されて
隔離され、それによって光が変わって行く=人々の考え方や生き方が
変わってくると思います。
戦前の日本軍が忽然と消滅してしまったように、残された人々で
新しい世界を築いていくことになるのだと思います。

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2009.03.17

未来

昨日、『分裂する未来』坂本政道・著を人に薦められ
一気に読みました。一つ重要なことが理解できた気が
します。
それは、なぜ自分はあの親から生まれてきたのか
ということです。

少し引用してみましょう。
それはポジティブとネガティブの統合が新たなものを
生み出す可能性である。プレアデス人たちの文明では
当初、ネガティブを恐れるあまり、ポジティブな側面のみ
を見る傾向があった。
ところがそれは文明の発展に停滞をもたらしていた。
宇宙の真理は、もしかしたら、ポジティブもネガティブも
どちらも異なる表現に過ぎないのではないのか、どちらも
真理の一面を表しているに過ぎないのではないか、
こういう思いが徐々に強まっていったのである。
さらに、両者を統合することが何かこれまでにない
新しい価値あるものを生み出すかもしれないと考える
ようになった。
そこで彼らは地球上でのポジティブとネガティブの統合
という一大実験にとりかかったのである。
P.114-115

中学の頃、何かが覚醒して、大人と共振できるという感覚が
ありました。だから、同学年の人たちについても群れとして
把握してコントロールできる感覚がありました。
信頼を得る方法と言うか、男女から尊敬を受けている感覚や
自信が芽生えてきました。そのまま積み上げていけば、
自分個人としては社会的勲章が手に入るかもしれないと
いう予感のようなものがありました。
その段階で、一つの分岐点が与えられました。
今の状態を捨てて一時的にわざと寄り道をするか、
そのまま、自分自身を結実させるか、という選択です。
私はその時、親を理解すると言う実験の道を選びました。
それは魂にとって既に勲章は経験済みだったからのような
気がします。

他の大人とは共感・共振できるのに、親の行動原理だけは、
理解できませんでした。だから、そこまで降りて行ってやろう
と思ったのです。引越しを契機にして密着してまったく同じ
目線で生活をしてみようと思ったのです。
しかし、恐らくそれはまだ少し段階的には早かったのかも
しれません。

坂本さんの本では、地球はポジティブ(利他精神)とネガティブ
(利己精神)との交流しうる宇宙でも稀な場所であるということが
書かれてありました。あの親をなぜ選択したか、そして私がなぜ
あの時、あのような選択をしようとしたかが分かった気がします。
私は、ネガティブな親を選ぶことによりそれを理解し、統合
することを希望して生まれてきたのだと思います。
私の親たちは、子どものことを自分達の所有物であるという
意識から今でも抜けきれることが出来ていません。

時期を急ぎすぎたし、適切な指導者=監視役が必要だったと
今は思います。その時、ネガティブ存在が狙っていて、
少しずつ進路をずらして大きく本来の軌道=予定の進路と違う
ところに連れて行き、幽閉してチャネル・コネクションを切り、
元に戻れないようにしました。

本の中で、坂本さんがチャネリングで示されたこれからの
地球人類の未来像と私が考えていたそれとは非常に近いと思いました。
下は、2月21に下書きのままアップしていなかった文章です。

2012年まで解体していく。
次の時代の扉はまだ開いていない。
我々は、次の時代のコンセプトを見つけ出さねばならない。

また、すでに分岐は去年のうちに終わっている。
2007年の頃に予感はあった。
去年から始まっている。
そして、今年から、古い屋敷は解体され
2012年に新しい波動が訪れる。

そのことを、もの心ついたころから感じていた。
カタストロフィが来るという実感があった。
だからノストラダムスの予言とか聖書の黙示録
とかに小学生の頃興味がわいた。

私たちは、子供のころよく雑誌なんかに載っていた
未来予想図のような世界とは別のところにきてしまった。
お金にまみれ、義務感に拘束された社会だ。

坂本さんの本を読んでいくうちに2012年ころ
世紀末的なものの到来で一斉にスイッチが入るような気が
しました。そうした一群の人々が既に野に散らばっていて、
一斉に共振し始めるような気がします。
そういう人たちと、重い振動の人たちが分離し始めて
明るい共振できる人たちが集まる嬉し嬉しの極楽世界
が訪れるということを信じたいと思います。

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2009.03.11

カインとアベル

旧約聖書の創世記第4章にカインとアベルの話があります。

兄弟それぞれ主(神)に供え物をしたけれども、主は弟アベル
の供え物だけを顧みられました。それで兄のカインは弟アベル
を殺してしまいます。

この話は、色々に解釈されていて、シュタイナー教育関係の
『子どもが生まれる順番の神秘』という本では、殆ど一冊
この話をモチーフにして解説しています。

以前、『さすら』という雑誌に、なぜ神はアベルの供え物だけを
認めたのかという話が載っていて、供え物そのもの、ではなく
その供え物の気を神は見てそうしたのだという話だったと記憶して
います。

聖書には、こう書かれています。
「カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。」
英文では、
Cain brought some of the fruits of the soil as an offering to the
LOAD. But Abel brought fat portions from some of the firstborn
of his flock.
このsome of theの部分からは、カインの不遜な気持ちが読み取れる
ように思います。アベルは、初物の良いものを選んで捧げる気持ち
がこもっています。だから、その捧げものに気がこもっているかどうか
明らかです。神がカインの供え物を受け取られないのも当然でしょう。
(これは、神社や仏閣でお供えするお賽銭でも同じことかもしれません。)
カインは、このことに大いに憤りますが、ここにも、神と対等の気持ちが
滲んでいます。そして、アベルを殺害し神にそのことが知れて楽園から
追放される段になっても、アベルへの罪の意識や反省もなく、自分が
放浪者となって他に殺されることだけを恐れます。そして神はカインが
誰からも打ち殺されないように一つのしるしをつけます。
カインは、子供をもうけて牧畜・芸術・製銅製鉄などの始祖となります。
(カインの子孫は誰とつながっているのでしょうね?)
アベルが殺されてしまったため、アダムとエバは第三子セツを産み、
それが人類につながっているとされています。

贈与の気持ち、大地に同化する気持ちを持たずに、自分の縄張りを
美しく飾りたい心持ちの人が現代では大半ではないか、と思います。
例えば、ちょっとでも他人より得をしたい。
自分だけ特別扱いされたい・・・

そして、縄張りの境界線を侵されると、老いも若きも今の日本人は
すごく拒否反応を示します。他の命さえ奪おうとするかもしれません。

これから、社会が乱れて自分の縄張りが維持できない状態になると
現代の日本人はかなり精神的にダメージを受けるのではないかと
思います。自分の拠って立つ土台が自分の箱庭だからです。
それは言い換えれば、占星術でいう水星意識=少年のレベル
なのです。人間同士で競い合っています。しかし、人間は老人に
なるまでに土星意識=社会規範や歴史を知り、各々各自の能力を
通じて直接・間接に人や社会を生かし、さらにはトランスサタニアン
である外宇宙まで意識を高められるはずなのですが、自分の殻から
離れられない人が殆どではないかと思います。

そして、これはカインなんです。
カインは、自分だけが可愛いので、最終的には共食いを始めます。
少し前までは植民地、最近でいうならば非友好的なM&A。
恐怖感、義務感を原動力にしてお互いの存在を掛けて
力の勝負をします。しかし、そこには勝者はだれも居ません。

この時代、いつの間にかカインばかりになってしまいました。
そして、カインは死なずに増殖して転移します。
地球はもう、末期癌ではないか、と思ったりします。

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2009.03.03

続・十字軍 お金について

昔、中央線特急の「あずさ」の上りで、諏訪から新宿まで乗ったとき、
車窓の景色が印象的でした。
山梨あたりまでは、鉄路というのが頼もしい存在で、大自然の
存在感が圧倒的です。高尾から住宅が増えてきて、日常の
安心感と、それに伴う俗っぽさを感じます。
圧巻は、新宿に近づいて副都心の高層ビルの林立に近づいていくとき
まるで巨木の集まりのようにものすごい存在感がありました。
諏訪の感覚がまだ残っていたので、何か神聖な場所という
印象を受けたのですが、そこに近づき内部に入ると、外観とは
異質に内部に何もコアがない、ただの平たい空間の延長であると
いうことに、とても違和感がありました。
神様の世界は、人間組織とは違った意味で必ず段階的な
世界ですから、あれだけの巨大な建造物が何も精神的な中心点が
どこにも見出せないと言うのは、自然界から見ると異常です。
まさに人間の精神を物語っているのかも知れません。
形があっても芯となる中身がないのです。
仏作って魂入れずです。抜け殻なのです。

さて、モノの交換手段としてモノとつながっていた貨幣と
別に紙幣が発明され、余剰が生まれそれが蓄積されて
資本が形成されるようになり近代国家が生まれました。
新宿のビルも、今の文明を支える全ての産業は
こうした資本が無ければ成り立ちません。
明治政府の視察団は、この現実を理解したのでしょう。
お金が世の中を変えていったのです。
お金を集中投下しなければ産業も戦争も成り立ちません。

しかし、それによってモノとお金の直接的な繋がりが
切り離されて、自然と人工の世界が分離していきました。
自然界のあり方も変化していきました。

お金は資本として増殖し、やがて人間が制御できない程
巨大になっていきました。そして、今やお金が人間も自然も
支配し、家や職場や家族、ひいては国家をも凌駕する存在
になりました。「主客逆転」です。お金様の勢いがこの地球
の輪廻のシステムを阻害し始めています。
魂の修行場所として相応しい場所ではなくなりつつあります。
ノアの箱舟のように、押し流してリセットしてしまうのは
簡単だと思います。しかし恐らく、ある時期に3次元人と
4次元人が分離するのではないかという気がします。
お金を必要としない、半霊半物質のようなあり方が
可能になってくるのだと思います。甲田式健康法を
知って、人間は3食、食べない方が健康に良いということ
を再確認しました。欲を少しずつ減らしていってお金の
要らない生活に切り替えていく。そして、お金に換算
できない価値を豊かにする生活を始める。
そういう生き方を目指して行く。

今の3次元のお金や物質の世界を信じる人々は
そこが心地よいのですから、その世界に住めば良いと
思います。これからは、別の選択肢も出来てきて
どちらを選ぶのも個人の自由ということになるのでは
ないかと思います。

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2009.03.02

十字軍

現代の西洋的な枠組みのルーツを辿っていくと
なぜか、たいてい十字軍の頃に行き当たります。

昨日は、複式簿記と紙幣がやはり十字軍の頃
だと言うことが分かりました。
秘密結社は騎士団の衣替えのようなものらしい
し、それらが市民革命の母胎となりました。
産業革命も、アメリカの発見開拓もその少し後です。

十字軍は何か表には出てこない裏の意味があったのでは
という引っかかりが捨てられません。
中世の封印がはがれて現代につながる国民国家
や産業や金融というアーキテクチャがすべて短期間の
うちに出揃っていく時期。そのアーキテクチャを
イギリスが世界中に広めていき、日本もその影響を
受けた国の一つでした。

人々の所属する世界も、都市国家から国民国家
という単位へと変わって行きました。私たちの生きている
この文化的な空間は、あの十字軍の頃に始まり
今まさにその末席に私たちが位置しているのだと
思います。大きな人類史的なビジョンを誕生させ
それを普及させてきた、そういう運動が何世代も
かけて行われてきました。

今は次のステージへ、つまり国民国家から世界統一政府
(ワン・ワールド)というように変化する時期なのかも
知れないという気がします。そして、その手始めにアメリカ
という国家を解体させ世界政府の最初の細胞として作り変
えるのかもしれない、と思います。

さて、こうした一つの方向への人類の長期的な活動は、
無秩序に行われたというよりも、意図的に導く存在が
居たのではないかという気がします。それがルシファー
(一ッ目の存在)なのかも知れません。なぜか理由は
分からないけれど、十字軍の頃から急に活動を
開始した、と。

シュタイナーが言うようにルシファーとアーリマンは峻別
しないといけないかもしれません。まだ研究不足ですが
ルシファーは、主人の留守を預かってそれをあるべき
形に変えてから返そうという意図があり、アーリマンは、
過去の時代の残思念のような気がします。

元の存在は、今は幽閉されているのでしょうか。
認可がない者は、その場所にたどり着くことは許されないし、
敢えて近づくと、命を取られるという気がします。
そうして散っていった無名の人々がたくさん居たことでしょう。
幸い日本には、開山者たち僧侶が大きな仕事を後世に残して
くれていると思います。それだけの仕事を今の我々の世代は
とてもできない。何を対象に生きるかということなのでしょうね。

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