« May 2004 | Main | July 2004 »

2004.06.22

アジアの視点から日本を見つめる

5月5日 日経新聞 関満博
「私はこれからの日本人は少なくとも
アジア規模で、どこに住み、どこで働
いても平気だというふうにしていかな
ければ、この国はもたないと思う。
だから、大学のゼミ生には三年生の夏
休みに中国の工場で働かせるようにし
ている」
この記事を読んだとき、アジア規模で生き
アジア規模で考えるということを少し考えた。

かつて、日露戦争の後、日本と中国が手を携えて、
アジアサイズで歩める大きなチャンスがあった。
その転回点にいたのが孫文や魯迅、宮崎滔天、
東亜同文書院の一連の活動や思想だった。
孫文の「西洋覇道の番犬となるか、
東洋王道の干城となるか」の演説は有名だ。
しかしながら、自らの至らなさや
偏狭さのゆえに日本はその視野に至れず、
地位から滑り落ちてしまった。
その限界の理由は、琉球やアイヌの併合の際
にも垣間見えた、優越感情。
戦前の特高に代表される特権意識は
どこから来るのか。
そのことを意識し乗り越えて昇華しないと、
日本はアジアで信用されず、大国に利用され
スケープゴートにされて屠られる運命に
あるのではないか。

アジアレベルや世界レベルの意識と
日本のドメスティックな天皇制との
整合性をどう取るのか、そこが今でもまだ
うまく日本人の中で整理しきれていない。
天皇制を主観的ではなく客観的に把握しないと
正しい未来像が見えてこないと思う。
それは言い換えれば、天皇制の価値や伝統を
他の国民にも理解できるように、伝えることが
可能かどうかということだ。
かつてのように、武力を背景に天皇崇拝
や神社信仰や日本語を押し付け、それにより
かえって、反感をかってしまった自らの
浅はかさを反省すべきだ。
そして自国と同様、各国それぞれの文化
の伝統を尊重し、日本はアジアに向かって
どう自己規定するのか。そこが明確に
なっていなければならない。
アジアから日本を見ると、日本は少年から
青年にさしかかる人格のように見える。
自己と言うものがまだ良く分かっていない。
かつてマッカーサーが「日本人を12歳の少年」
と語ったけれど、アメリカという親が未だ健在で
いただけに、いつまでも我々の実態は
その12歳で止まったままだった。

そして、自分の立ち位置が定まらなければ
「中国をどう見るか」という定点をはっきり
させられない。相対的に揺れ動くだけ。
そして、過去の負の遺産をどう前向きに
切り替えられるのか。それについて
必ずしも、国内でコンセンサス
が取れていない。タブーと言う感じ。
うまく、対応が消化しきれてなくて
どう振舞って良いか見えていない。
感情論で建設的でない両極端の方向に行きがち。
まして、韓国の竹島、中国との尖閣諸島
といった領土問題が絡み始めている。
歴史の法則として、領土問題は戦争で
決着つけるしかない。
そうなると、ますます協力が難しくなる。

これからのアジア経済圏を考えるにあたって
欧米の視点から見たアジアという
存在しか今はない。それは、お金に代表される
物質主義と精神の分離した文化だ。
それに対して、アジアには昔から物質と精神が
対立しない文化があった。
それは、西洋医学と漢方薬の違いを思い浮かべて
もらえばよいだろう。
西洋の視点で生きる限り、アジアは植民地であり
欧米にいかに近づくかを競いあうしかない。
しかし、アジアの人たちが欧米とは違った
アジアの視点・世界観で考えられるように
なれば、アジアの未来が開けてくる。
アジアは過去ではなく未来なのだ。

そして、そうなれば日本の風向きが変わる。
江戸までは、日本の文化は西から東へ流れていた。
大陸から文物が到来し、東へ進むに従って
流れを弱め消化されていった。
だから、維新では薩長が先進地域だった。
大坂が経済の中心だった。
戦後になってから、風向きが変わった。
太平洋を渡って東京から入り、西へ・北へと
流れていくようになり一極集中になった。
風向きが、また西から東へ流れるように
戻れば、日本は本来のあり方を思い出せる
のではないか。日本の文化の落ち着きは
この風向きを前提に成り立ってきたと思うのだ。

参考『「上海東亜同文書院」風雲録』西所正道著

| | TrackBack (0)

「カリスマ」三菱

三菱自動車は、この先企業として
再生する可能性があるのだろうか。
消費者が会社の存続を望むだろうか。
厳しい道が待っていることだろう。
投資という面では、ちょっと危険すぎる、
と思う。
だが、フェニックス・キャピタル
(カナダの会社のようだが、
ほとんど情報らしきものがない)
筆頭株主になるという
どういう計算が成り立つのか疑問だ。

資金面でも人材面でも三菱自動車は、三菱重工の
子会社だ。三菱重工は世界でも名だたる
軍需産業であり、有事の際の屋台骨である。
三菱電機もかなり重工の製作部門だったりする。
三菱自動車が傾けば三菱グループに累が及ぶ。
例えば、国の根幹企業はじめ丸の内が
買い叩かれる事態になると、独立国の
体をなさなくなる。
三菱自動車は、切り離しや清算も
視野に入れるべきかもしれない。

また、三菱自のコーポレートガバナンスを
立て直すために、あえて委員会等設置会社
(米国型企業統治)を検討してみたらどうだろう。

木村剛 マスコミが指摘しないカネボウと三菱自動車の共通点は何か?
有志創路 花盛りの企業不祥事
三菱自動車のガバナンス
Law Maniac 監査役制度

三菱グループには、プラスのイメージのカリスマ
経営者を思い浮かべることが出来ない。
顔のない集団だ。
「三菱」と「カリスマ」を掛け合わせて検索してみると
意外なことに、三菱自動車がヒットの上位を占める。
実は、96年頃にカリスマという名前の乗用車があったらしい。
(全く知らなかった)皮肉なことに
三菱自動車に一番必要なことはこの「カリスマ」経営者
かもしれない。

| | TrackBack (0)

竹中大臣は何者なのだろう

竹中金融相はなぜ執拗にUFJを攻撃するのか。
UFJの株価が下がり、買い集めやすくなる。
すると、ダイエーや大京などの問題株も
間接的に支配できる。そのことをどう見るか。
うまくいけば、非常に安上がりに
日本の中核の企業群の株を支配下における。
そんなことを考えていたら、次のような
Webを見つけて慄然とした。
森田実の時代を斬る
UFJ叩きの真の狙いは、トヨタという説だ。
竹中氏・金融庁の経済政策の経済政策
を振り返ってみると、BIS規制に辿り着き
冷静に考えると、無用に日本経済を
崩壊させて行っているように見える。
「竹中金融相改革案」と改革案反対派の構造 渋谷一三
やはり金融庁が中小企業をつぶした』東谷暁

| | TrackBack (0)

2004.06.19

少子化はますます進む

一人の女性が生涯に産む子どもの平均数
が東京都で0.9987になったという報道が
大きく報じられた。
周りを見渡しても、結婚しない人、
結婚しても子どもを作る意志のない人が
多くなってきている。

今後、出生率が回復するかどうかと論じ
られているが、私は、つるべ落としに
おちていくと思う。
4月26日日経新聞 信州大学名誉教授 高梨昌 
「学卒直後の未就職失業率は大卒、高卒とも
30~40%に対し、『フリーター』として短期
的に離転職を繰り返す若者たちが400万人を超
えるという試算もある。」
若年労働者の労働環境の悪化が言われている。
多くの若者は、子どもを産み育てていく
経済的な基盤を持たない。
これからの若い人たちの間では、
結婚や子ども(育児)がライフスタイルとして
稀なことになって行くのではないか。
そうした縛られる生活がかっこよくない
ことになる(なっている)のではないか。
また、キャリアの邪魔になるのではないか。
出生率が1.0を割って騒いでいるが
これが0.5になったとしても驚きはしない。
むしろ、その程度までは低下すると覚悟し
ておかないといけないのではないか。
0.5ということは、2組のカップルから
一人の子どもということだから、
単純に言えば1/4に減ることになり、
人口が急激に萎んで産業のパイも縮小していく。
単純に縮小するだけでなく、産業構造が
大きく変わってくるだろう。例えば住居や
交通そうしたものに余剰感が生まれるだろう。

そうなると、今の年金のシステム自体が
なし崩しに破綻せざるを得ない。
雑誌や新聞などで、このままでは年金が
破綻するとは書かれているが、破綻したら
どうなるかは、あまりお目にかからない。
年金が破綻したら、結局子どもを持つ家庭
が強いと思う。
子どもを持たないシングルや夫婦だけの
家庭は、年金を当てにしない自己責任での
老後を考えていかなければならなくなる。

逆に言えば、そうして子どもを持つことが
自分にとってメリットがあるという状況
にならないと、人間は子どもを持てないの
ではないか。

私は、国が一旦年金と言う形でかき集めて
分配するという間接的な今の形よりも
直接、若い世代が老人に手渡せる方が
気持ちが通じて良いと思う。
それは、現金という形よりも、
例えば地域通貨のような形が良いのでは
ないかと思う。
自然に、若い世代に対して貢献した
老人には沢山集まるだろうし、
自己中心に生きてきた人には、それに
見合った老後が待っていることになる。
もちろん、老人自身もらうだけでなく
地域ボランティアを地道に続けることで
地域通貨を得ることだって出来る。
働けるうちは、そうやって働くしかなく
なる。なぜなら少子化で労働力が
減少してくるのだから。
そうして、自然に若者と老人との間に
接点が生まれて、いわば多様な年齢層
の人間が混在する環境が成立しうる
のではないか。
そして働ける間は、年金なんか要らない。
動けなくなったら、社会福祉や
健康保険、介護などの世話になる必要も
出てこようが、その年齢や必要な度合い
には個人差があるだろう。
今のように、(原則的に)一律この年齢
からというのは、社会から引退する
インセンティブにはなっても、いつま
でも現役で頑張って死ぬまで働くという
気を喪失させる。
現役世代や企業も重税感で身動き取れなくなる。
壮大なモラトリアムの幻想に取り付かれて
全部の関係者がそれぞれに不幸に
陥っているように思われる。

| | TrackBack (1)

2004.06.18

UFJの思い出とこれからをおもう

IT関係の仕事の関係で10数年前、
大手町の三和銀行の本社に
半年ほど詰めていた時代があった。
まるで今で言う自動車業界の
ような雰囲気で、世界レベルの
銀行に脱皮するべく果敢に
挑戦している時代だった。
世界3拠点(東京・ロンドン・
ニューヨーク)体制で、金融の
動きを追いかけようと、職場には
世界地図が壁に大きく張られていた。
結構、気軽にタクシーを使えていた
ので、きっとバブルの真っ只中
だったろう。

三和銀行は、IT的にはかなり先進的
で、電子商取引などでも
海外で名前が売れていた。
UFJに統合され、システム統合に
おいては、障害も発生したが、
予定を前倒しで実現するなど
野心的な取り組みも行った。
今でも24時間稼動している大手都銀は
UFJだけじゃないだろうか。

産業界では財閥系は振るわないが
金融の世界では、財閥系は安定感がある。
UFJ銀行は、昔から不思議と金融当局
に苛められてきた。
信託の窓口扱いも他行より半年遅らされた。

さて、UFJ信託を住友信託に取られ、
プロミスとの業務提携を三井住友に取られた。
UFJは、描いていた生き残りのための切札を
次々に奪われていき、追い込まれつつある。
UFJにとっては、仇敵竹中ということになろう。
社内は忠臣蔵の心境なのではないか。

UFJが、生き残りのための別のシナリオ
をどう描くのか。案外、外資と手を組むの
ではないかという気がする。
UFJは、行動が論理的な分、当局に疎んじられ
海外投資家からは好感されていると思われる
からだ。

大手町界隈を歩いていて
巨大なUFJの本社が見えると、
よく、皇居越しにきれいな夕焼けの景色が
見えていたことを思い出す。
目の前が、お濠や宮内庁病院、大手門
江戸、そして明治の名残のある建物、
遠くに見える新宿の高層ビルまで遮るものがなく
隠れた絶景だった。

あの頃の行内の熱気は、今も残っているのだろうか・・・

| | TrackBack (0)

2004.06.17

5年後を見据えて生きる

最近読んだ本の中で強烈に印象に残ったのが
『本当のビジネスモデル特許がわかる本』
(保立浩一:著)に書かれていた「特許=
未来予測」論である。
「特許とは未来予測だ、ということであ
る。つまり、現在は全く知られていない
が、将来には皆が使うことになる商品や
サービスを予測する、ということが特許
の世界では必要なのである。」
P.183
「将来は世の中がこうなって、こういう
サービスが必要になるでしょう。それに
は、こういう製品が必要だ。その製品に
は、うちのこの技術が使える。だからそ
の点を特許にしておきましょうよ。とい
う発想方法でなければならない。つまり、
未来予測主導型の発想方法である。」
P.184~185

この表現を読んで、特許というもの質を
決める要素はいかに未来を先取りするか
という先進性や蓋然性ということだと気
が付いた。

そしてそれは、投資でも全く同じだ。
6月6日の日経新聞に、さわかみ投信の
沢上篤人社長のコラムがあった。
「長期投資家は5年先、7年先の予想を立て、
もうこの時点で行動に入る。」
そうして、長期予想に基づいて実際どのよ
うに投資判断を下すか、の記述があって
非常に興味深かった。

特許や投資だけの話ではなく、全てのビジ
ネスに当てはまらないだろうか。
日々、情報に接して結局こうした俯瞰
イメージを得ようとしているのだと思う。
時として、明白に先のイメージが確信
されるときがあって、それは自分にと
って関係の深い未来なのだろう。

日常の習慣や発想に5年後を予測して
行動してみるのもいいかもしれない。
もちろん、人生は意外性の連続だから
人間の考える直線的な未来像は往々にして
外れることが多いが、しかし少なくとも
ブレる度合いは小さくなるのではないか。
旧制高校などで青春や教養という名前に
代表される感覚は、それぞれが独自に
この俯瞰=未来像を獲得することにあ
ったのではないか、と思うのである。

果たして5年後がイメージできるだろう
か。自分やそれをとりまく社会は、どの
ような変遷を遂げているだろうか。
そのために何が必要になってくるだろう。
未来を見据えることは、逆に今を深く掘
り下げていくことと繋がる。
あれこれ想像していくと、別の懐かしい
自分に出会えたような楽しい気分になっ
てくる。

| | TrackBack (0)

2004.06.16

錬金術とイラク戦争

宝島社から『アニメ・コミックから読み解く錬金術』
というムック本が出ていた。
前半はアニメ、ゲームの話、後半は錬金術
の話だが、錬金術の成り立ちの記述を読ん
でいて不思議な感があった。同書によると、
錬金術は、
エジプト・バビロニアから技術(冶金術)
ギリシアから哲学(四元素・第五元素の理論)
エジプトのヘルメス思想から宗教的側面
アラブから硫黄・水銀の理論
がそれぞれ持ち寄られているという。
「古代ギリシア思想がイスラム帝国の
領土拡張とともに、アラビア文化に取
り込まれ(中略)これが12世紀ルネサ
ンスによってヨーロッパに入ってくる。
(中略)この地中海生まれ、アラビア
育ちの錬金術は一神教的発想をついに
持たずにヨーロッパに入ってきた。
イスラム教は一神教なのに、異教に寛
容なこの宗教は、実験や理論面に影響
を及ぼしただけで、宗教的局面は温存
のままだったのである。したがって西
欧では、唯一神キリスト教に対して、
多神的なヘルメス思想は異端として扱
われるようになった。」P.59~60

調べてみると、イスラムは711年にスペインに
侵攻している。750~1031年の間スペインに
後ウマイヤ朝が成立していた。
『イスラム紛争の深層』宮田律 によると、 
ユーラシアから地中海を又にかけた大帝国
だった。当時は、モンゴルこそが哲学や科学文化
の中心であった。ヨーロッパの哲学者たちは
イスラムの地へギリシャ哲学を学びに足を運んだ。
本来イスラム教は、異教に寛容で、キリスト教や
ユダヤ教に対する対決的視点や行動は希薄であったし
東南アジアに目を向けると、ヒンドゥー教、仏教、
アニミズムなどの信仰や伝統を排除することはなく
イスラムの下で各宗教や民族コミュニティーは
共存するシステムをもっていた。
今のような対決姿勢になったのは、近代になって
ヨーロッパが植民地政策によって、イスラムを解体し
列強がイスラムの文化への支配を強め、聖地エルサレム
に代表されるイスラム中心地にイスラエルが成立した
という歴史的背景かららしい。

こうしてみると、イスラムの側からすると
キリスト圏の非寛容さに自国の文化を一方的
に守るために戦っているというように感じられる。

少し古くなるが、邦人拉致事件の解放に際して、
なぜ拉致に至ったかの聖職者協会の説明、
人質をとるところまで追い込まれてしまった
心情は一定の理解は出来た。
アメリカが言う悪の枢軸でテロ輸出国といった
極悪非道のイメージではなく、人質が無事救出
されたことでシビリアンコントロールが曲がり
なりにも働いている国という印象をそのとき受けた。

ヨーロッパ文明の伏流水(神秘思想)の中に
紛れもなくイスラム・ペルシャのDNAは紛れ込んでいる。
ルネッサンスで一度消化され、アメリカはヨーロッパの
娘だから、アメリカのなかに近親憎悪というより
どこか先祖がえりのような衝動があるのかもしれない。

日本軍が朝鮮・満州という北方、そして南方の
中国を占領しに行ったのも、先祖がえりを図りたかった
と主張している人もいた。
このあたりは、何とも証明が難しい。

| | TrackBack (0)

2004.06.11

ポイズンピル

リスク・マネジメントの観点から考えれば
経営者は、企業セキュリティに関心と金をかける
のと同じくらいM&A防衛について十分に検討・準備
しておくべきではないかと思う。
M&Aとコーポレート・ガバナンス
P.9 には
  日本企業にはほとんど効果的な構造的な「防衛策」がない
と書かれている。いつでも敵対的M&Aを受けて経営権を握られる
危険性があるということだ。

株主・ボード(取締役会)・経営陣が利害調整する
コーポレート・ガバナンス自体は完成された
システムと言えるのだろうか?

むしろ非上場のオーナー企業のほうが
統治という意味ではすっきりして理解しやすい。

Googleの創業者が日本の中小企業のオヤジと同じ発想・感覚
で資本主義に対峙しているというのは、興味深い。
Googleのコーポレートガバナンス
Google の創業者と日本のオーナー経営者は同じ発想か
結局上場して外部の資本を入れるということは、
様々な利害関係の調整を内に抱えるということだ。

参考)
企業買収防衛戦略
オープンな社会とベンチャー
ともに磯崎哲也事務所
日経ビジネス20040308号「主流は敵対的買収か 世界的にM&Aブーム再燃」
(→THE Economist 2004 Feb.21の転載)
岩井克人『会社はこれからどうなるのか』

| | TrackBack (0)

米軍捕虜虐待はなぜ起きたか

なぜ、米軍が非人道的な捕虜虐待という規律の堕落
が起きたのか、疑問に思っていた。また、日本軍の
南京事件との共通点も気になっていた。

磯崎哲也氏のゲリラとガバナンス
を読んで、そのキーワードが「正規軍とゲリラ(民兵)
との戦い」にあると気が付いた。

第一次大戦以降における、正規軍とゲリラ戦
との戦いにおいて、正規軍側の規律が腐敗する法則がある。
・日本の南京事件
・ベトナム戦争のソンミ村
・イラク戦争の捕虜虐待
これは何ゆえだろうか。
日露戦争においては、プロ同士の戦い(限定戦)で、
ある意味スポーツのような「武士道」の成立する
世界だった。
これがゲリラ戦になると様相が一変する。
1)ゲリラ戦を仕掛ける側が捕獲された
 場合に、後ろ盾となる国家ないし軍は
 存在しないため、正規軍の軍人からすれば
 国際法上の捕虜の扱いが難しい。
2)ゲリラ側は汚い戦いを仕掛けがちで、
 それに対する私怨のような感情がある。
3)加えて、組織とゲリラ分子との力の違いが
 圧倒的で暴走を抑制するストッパーが利きにくい。

捕虜の問題は衝撃ではあったが、
次のサイトの記述ではファルージャの戦闘は
南京事件と殆ど違わないかなりひどい状態だった
ことがわかる。
From Nanjing 1937 to Fallujah 2004: War Crimes in Perspective
捕虜問題は、まだ序の口でひょっとすると、
ファルージャでの米軍のイラク民間人虐殺から
目をそらすためのリークだったのでは、
という深読みもしたくなる。
戦場においては、非日常のある種狂気の世界だ。
恐怖心の裏返しで、圧倒的な火力に依存して
エスカレートし勝ちだろう。
まして、正規軍どうしの戦いと違ってゲリラ戦
であれば、戦場には、日本人である私が今ここで
理性で是非を批評するような悠長な精神状態に
ないことは理解できる。

| | TrackBack (0)

幻のビジネスモデル特許

最近は楽曲のダウンロード販売や携帯電話
の着メロなど流行しているが、個人として
楽しむという目的以外に、個人HPのBGMに
使う等の使い方が出来ないかと思い、
ビジネスモデル特許として成立しないだろうかと
思って調べてみたら、既にJASRACの方でサー
ビスが開始されていた。「J-TAKTサービス


| | TrackBack (0)

レーガンの時代

レーガン元大統領が亡くなった。

アメリカの製造業は元気が無く
日本は膨大な黒字を抱えながら
アメリカから買うものがないと
困っていた。
その頃の日本は、アメリカの
産業復活の支援をしてあげる立場
だった。

その頃、ビル・トッテン氏の
二ユーズレターに、冷戦が終わって、
軍需産業から民間企業特に金融界に
優秀な頭脳がシフトしているという
話が載っていた。
アメリカは、産業で日本と勝負することを
あきらめて、為替や金融といった仕組みで
日本が持っていった金を
取り返す計画を立てている、
というもので、そのとき
「なるほど、それはうまい考えだなあ」
と思った記憶がある。
働き蜂にどんどん蜜を集めさせて
自分はそのロイヤリティをしっかり
握るという戦略。

アメリカは、為替の交換レートという
考えようによっては一種のトリックを使って、
巧妙に世界中から資金をかき集めて
見事に復活した。

しかし、そのシステムも逆に華僑やインドに
逆に利用され逆にアメリカ国内の産業を
侵食し始めている。

アメリカは、そこで石油を梃子に復活を
図ったがそれが裏目に出た。

再びコーナーに追い詰められつつある。
ちょうど一周してレーガンの時代に似た観がある。

アメリカは、不思議な国で
コーナーに追い込まれてから
不死鳥のように蘇る。

今回、アメリカはどのような
動きを見せてくれるだろうか。

| | TrackBack (0)

成果主義か年功主義か

そもそも成果主義は、雇用関係の変化に応じて
流動化を前提とした仕組みだと喧伝されてきた。
それは、従業員のためにもなると。
年功賃金だと、転職に不利で国際的にも優秀な人材の
引抜が出来ない、とか退職金は流動化の時代
転職者に不利だ、さらには、企業年金ではなく
401Kのような持ち運びできる年金制度まで登場してきた。

また、年功で経営者を決めるからディシジョンが遅いし
経営手法が固定的と言われ、早期選抜で経営者を育成
しないと国際的に太刀打ちできないといわれていた。
成果主義は企業を強くするといわれていた。
横並びの年功賃金と終身雇用が日本の競争力を弱めたと
いわれていた。
成果主義の推進者の最大の論法は、それが国際社会の
ルールであって、それに乗り遅れてしまうという
あせりを喚起するメッセージが多かった。
一時期それが雑誌などでも支配的で、我先に成果主義が
取り入れられた。先日の日経新聞の報道では、確か
上場企業の8割で何らかの成果主義が導入されている
とかかれてあったと記憶している。
例:梅森浩一『「査定」!論』

ところが最近になって、単に成果主義を導入するだけでは
効果が上がっていない、日本の企業の強みを潰してしまう
という意見が多く見られるようになった。
成果主義は日本の強さをだめにするといわれる。
年功賃金、終身雇用見直し派だ。
例:高橋伸夫『虚妄の成果主義』
 :吉田耕作『経営のための直感的統計学』
最近は、こちらの方が肯定的にとらえられているように
思う。

私は、どちらも有効な問題提起が含まれていると思う。
しかし、何か論理がすりかえられてしまったように感じる。
成果主義派の指摘する日本の企業組織の変革は、今実際に
行われている「賃金による動機付け」や「競争主義」
「早期選抜」とイコールなのだろうか。それは、単に
アメリカでの労働慣習を日本に持ってきているだけでは
ないのか。
それに対して年功・終身見直し派が批判をしている。
つまりは、どちらも実際の会社組織の行く先について
ふさわしいモデルを呈示仕切れていないのではないか
と思える。

この問題は、組織の統治をどういうスタイルで誰に委任
するべきか、という問題をはらんでいる。
戦前の日本は、大正の安定期に入って、軍の指導層
を陸軍大学校などの試験選抜にすることによって
それまでと違った人材と組織の論理に固められて
しまい、日本を迷走させてしまった。
結局は、指導者にはそれにふさわしい「器」
というものが備わっていなければならないのであって
それは、後天的にマニュアルによって教授できる
ものではないと考える。
いかにして、組織の中の「才」を見抜くか。
そしてそれを、適材適所に持ってくるか。
誰が言っていたか…「戦場においては一人の天才は
千の兵に勝る」。まさに、天才がその活躍の場を
与えられて自在に動くことによって常識では
考えられない奇跡も現実となる。
日露戦争では、幾つもそのような話が転がっている。

本人も自分で自覚していないような才覚は
生命も脅かされるような、大動乱の時代
例えば幕末や終戦後といった組織の秩序が
壊れて人と人が死に物狂いでひとつの方向に
向かうときに、適材適所にはまっていくもの
というようにしか、今は書きようがない。

もし、日本の風土に合った人材登用や
統治のあり方が磨かれて行って、なるべき人が
トップに立って統治する、また参謀も
なるべき人がなる、という秩序なり
何らかのメカニズムが働き出せば
企業も国家もずいぶん強い体質に
なれると思う。
ただし、英雄待望がヒットラーのような
独裁者を生み出す危険性もあるのだが。

| | TrackBack (0)

2004.06.07

情報漏洩対策~こんな方法も

マイクロソフトの「企業内個人向け生産性
アセスメントサービス(IPA)」

を見て、ジョージ・オーウェルの『1984年』を思い出した。

表向きはトヨタがカイゼン活動で工場内でやって
きたことの、ホワイトカラー版なのだが、
業務をビデオカメラで撮影、キャプチャPCに保存し
それを分析して、業務の改善提案を行うというもの。
確かに改善効果は出るだろう。
経営者にとっては、とてつもない武器で
勤怠管理やセキュリティ違反、さらには
評価基準や労働争議の証拠としても非常に
有効だ。しかし・・・
労働者にとって、常にカメラに監視されながら
の仕事は、楽しいだろうか。
存在が噂されるエシュロンが容易に企業内に
導入できる時代になったということだ。
リストラして人減らししたり、業績管理や
セキュリティ対策に頭を悩ますより、これで監視
強化したら、社員の仕事の効率も上がって一石三鳥
かもしれない。結構これは流行するのではないか。
ただ、従業員の雰囲気は確実に硬くなって、職場では
本音が言えなくなるだろうから、長期的に見て
経営的なメリットがあるかないかは予想が難しい
ところだが。

| | TrackBack (0)

注文の多い料理店

以前から、株の持ち合い解消やM&Aの記事を読むと、
宮沢賢治の『注文の多い料理店』を思い出される
ので書いておきたい。
なぜか岡山工業技術センターのHPから原文が読める。
日経新聞5月7日
「外国人投資家が日本の有力上場企業の持ち株比
率を高めている。」
日経新聞5月18日
「二〇〇六年からは自己株を現金代わりにして日本
企業を買収できる見通しなのだ。」
日本のゴルフ場の1/3が外資という報道もあった。
優れたブランドと潜在的技術力をそなえながら、
業績が上がらない名門企業はいくらでも数えられる。
もし、将来的に円安になる事態が発生すれば、
海外投資家から見れば、ますます日本企業は格好
の獲物になる。
戦後すぐのように、植民地状態にはならないだろうけど
株主支配という形で間接的に搾り取られる構図になる
可能性はある。
計画的に一連の動きとして、一気に片がつくと思う。
気が付いたら喰われていたということにならないよう、
もう一度、読み直されることをお勧めする。
賢治にとっては迷惑だろうけど。

| | TrackBack (0)

ICタグの顧客にとってのメリット

ICタグに関して、これまで物流
サイドのデリバリの省力化の観点、
またショップ側での在庫管理や
万引き防止策としての利用メリット
が謳われている。
しかし、一般顧客側にもメリット
があると気が付いた。
それは、店頭在庫の有無がいっぺんに
分かること。本屋やCDやレンタルショップや
コスメやDIYなど、大型店になるほど慣れた店
でないとどこに目的の商品があるか分からない。
このような時、ICタグとそれに連動
して無線LANなどがあれば在庫の有無
がいっぺんで分かる。
それが普及するかどうか。携帯電話などで
検索できればひとつの差別化に繋がるのでは
ないかと思った。
店頭に、検索用のPCを置いておけば顧客自身
が陳列棚を見つけることが出来る。
極端な話、店舗に赴かなくても
店頭在庫がWEBから確認できるとすれば、
取り置きしてもらってから受け取りに行く、
あるいは店舗間で融通してもらうといった
クリック&モルタルの利用に繋がるのではない
だろうか。

| | TrackBack (0)

2004.06.02

レコード文化の郷愁

「そういえば、最近CDを買わなくなったね」、
という話が友人とのメールで出てきた。
なぜなんだろう?
音楽媒体がレコードからCDに変わったこと
も一つの原因なのかもしれないと思った。
レコードは、持ち運びも保管もCDに比べて
はるかに不便で、しかも再生するために
レコードプレーヤーとアンプ、スピーカー
などのステレオセットが必要だった。
レコード文化は、「贅沢品」の貴族的雰囲気があった。
また、レコード針やスピーカーケーブルなど
こだわりたければ、いくらでもこだわれた。
そんな、薀蓄の塊がレコード文化を形成していた。
そして、その象徴が秋葉原だった。
LPレコードは、とてつもなく大きく
貧乏な学生や生徒には、おこずかいを貯めて
勇気を持って買う結構な贅沢品だった。
LPを買うときには、決意のために深呼吸が必要だった。

CDからMP3へ、ハードが進化して、いわゆる
ユビキタスな、どこにでも音楽を持ち運べる
世界が到来した。音楽それ自身がデータとして
存在するようになり、ほとんど物質を伴わない
ようになった。
それによって、レコードが位置していたひとつの
文化が消滅した。山水やトリオなどのオーディオ
コンポメーカやレコード会社が支えていたラジオ
の文化。また、名曲喫茶や薀蓄の詰め込まれた
オーディオ装置の新製品のかずかず。
子供にとって、大人や学生たちのいる憧れの世界
は今は、どこにも見当たらない。

だからといって、単純に懐かしんでいても
仕方がない。たぶん映像も音楽も、かつてとは
存在意義が変容してしまい、能動的にではなく、
ただBGMのようにふわりと存在するだけ、
そして次から次へ消費していくだけになって
しまったのだろうか。

LPを抱きしめて家路につくときの、あのワクワク
した感激が失われてきているとしたら、こういう進化
の仕方が正しかったのだろうか、と考えてしまう。
まして、よりこの傾向が進んで簡単にクリックで
済んでしまうとしたら、何かそれは音楽文化を壊し
ているような気がする。最近CDを買わなくなった=
成立しなくなった理由なのかもしれない、と思えてくる。
CDショップに入っても、音楽業界がかつてのように
職人芸の世界から、マーケティング・データの理詰め
の世界になってしまい、魚網に囲われている魚になった
気分で疲れてしまう。自分が音楽に合わさないと
いけないような気分になってくる。

産業革命以降の近代文明の発達においても、まったく
同様に文化を脱色する過程を経て、今日に至っている
としたら、我々は本当に先人に胸張って自慢できる
世界に生きているのだろうか?
技術の進歩を利便性だけでとらえてはいけないのではないか。
大切なものを失ってしまっているのではないか。
しかし、戻ることが正しい道とも思えないし・・・
一体どうすればいいのか、よく分からない。

| | TrackBack (0)

« May 2004 | Main | July 2004 »